20180325

あの日から1週間ちょっとが過ぎた。

明日は、ていうか今日はもう滝沢歌舞伎2018初日だ。

この期に及んで今さら何を書こうか悩んだけど、誰かに読ませるためじゃなくて自分のためにちゃんと記録しておこうと思ったので(いつだって私の文章は自分のためでしかないのだけれど)、10年ぶりくらいにはてなブログを開いた。

 

2018年3月25日。

ジャニーズJr.のいちユニットであるSnow Manが、

初めて単独で横浜アリーナでコンサートをやった日。

私はこの日をずっと忘れないだろうと思う。

 

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ずっと遡ればアニオタだった。

学生時代はVオタだった時期もあるし、彼氏の影響でハロオタだった時期もある。

その後Dオタを経て、私がジャニーズにたどり着いたのは2007年のことだった。

当時ネットで配信されていた(今思うとたぶん違法のやつ)嵐のPVを見てジャニーズに興味を持ち、清水の舞台から飛び込むつもりでFCに入ったのが2009年。当時嵐はデビュー10周年、コンサートのチケットもなかなか取れず、その隙に関ジャニ∞KAT-TUNにも興味をもち、私は完全にジャニオタへの道を突き進んでいった。

そして2010年。タッキー&翼の「愛はタカラモノ」という曲に出会う。

録画していた音楽番組で見たその楽曲の、タッキーと翼の後ろで踊る、けして幼くはないジャニーズJr.に初めて目がいった。

Mis Snow Man。

当時ドル誌で見かけても「かっこいいコが一人もいない!」と思っていたその8人の、踊っているところを見たのは初めてだった。

へー、ジャニーズなのにこんな踊りするんだ…きっかけはそれくらい。

曲も好きだったせいもあり、その時期のタッキー&翼の露出はすべて録画していたが、それだけだった。

時は過ぎ2011年。嵐は思うようにチケットが手に入らず、片手間に見たザ少年倶楽部Kis-My-Ft2に興味を持っていた私は、彼らがデビューすることになったのを機にここで初めての「担降り」をした。それまで仕事をなによりも最優先にし、有給も絶対に使わずにいたのにも関わらず、有給を取ってまで公演に入るようになった。そして有給を取って入ったKis-My-Ft2の帝劇公演と2011年10月収録のザ少年倶楽部、ここにいた一人のJr.に目が奪われることになる。

岩本照。

1年前、タッキー&翼の後ろにいた8人のうちの一人だった。あの時8人組だった彼らは、気づいたら5人になっていた。真ん中にいた2人は引き抜かれお昼の帯番組に出演、もう1人は大学受験のために休業していると知ったのはそれから間もなくのことだった。そしてあの時ダンスが気になった、8人の端っこにいた彼は、5人の真ん中に立っていた。

指先までぴんと神経の通った腕の動き、しなやかな身のこなし、どこかで見たことのある顔(当時の友達のとやり取りには「ロバートの馬場ちゃん!」と残っている…今見ると否定はしないけどそんな「!」つけるほどには似ていない)。

Kis-My-Ft2を見るために入ったその公演なのに、他のJr.が気になっている私に一緒に入った友達は言った。「1年後には岩本担になってるんじゃないの(笑)」

いやそうじゃない、ちょっと気になっただけだもん、私が好きなのはKis-My-Ft2だもん。

抵抗の言葉も今はむなしい。

結局そのあとに入ったA.B.C-Zの代々木公演でも岩本くんしか目に入らず、入るつもりもなかった滝沢革命や滝沢演舞場はわざわざチケットを某所で(定価以下で)買って岩本くんを見るために入り(当時はタッキー&翼のFC名義なんて持っていなかった)、やっとJr.情報局で申し込めたABC座凱旋クリエ公演は、唯一当たったのが岩本くんの19歳のお誕生日の公演で、橋本くん主導で岩本くんお誕生日おめでとうまでできてしまって。

私が岩本くんの魅力に気づいてのめりこんでいくそんな中、大学受験で休業していた一人が復帰して、6人になった彼らにタッキーが名前をくれた。

Snow Man。

過去をほんの少し残した、新しい6人の名前。

Twitterでレポを見た私はほんの少しだけ泣いた。そして泣いた自分にもびっくりした。

この頃から担当は岩本くんだ、と自覚したように思う。嵐からKis-My-Ft2に「降りた」時よりもずっと、自然な流れで担当が変わったような状態だった。今だ!という勢いとか、そういうのはなかった。自分の心が赴くままに動いていたら、気づいたら岩本担としか言いようがない行動になっていた。

ただ名前はついたけどザ少年倶楽部には出れないままで、Dream Boysのポスターには6人の写真と名前が載ったけど推されるわけでもない、中途半端な状態が続いた。

そして3ヶ月にわたるJohnnys' World。パンフレットの写真が岩本・深澤だけ大きくて、4人の写真は一回り小さく、この頃から岩本・深澤だけがピックアップされて他のJr.に交じって仕事をすることが増える。

Snow Manという名前はあるけど形骸化していて、でもJr.なんてそんなものだよという先輩たちの言葉に耳を傾けながら岩本くんを追いかける日々が続いた。

そして2013年。初夏のクリエ公演、そこにSnow Man単独公演が設定された。

同時に「謎選抜」と呼ばれていた岩本・深澤と他のJr.達の公演も設定され、オタクから見ても明らかにサバイバルが始まったことが見て取れた。

ここで負けたらSnow Manはなくなる。

たぶんあの当時みんなが大なり小なり抱いた感情だったのではないか。

特に4人の担当にとって、それは自担が無所属に降格することに近かったのではないかと思う。あの年のクリエ公演はたぶん6人も、オタクたちも、決死の覚悟で挑んだ公演だったように思う。結果として「謎選抜」は自然消滅していき、Snow Manはそのまま現状維持だった。今なら現状維持するのって大変なことだな、と思う。

同年秋のABC座ジャニーズ伝説とSnow Domeの約束。

この仕事がひと段落すると、岩本くんが表に出てこなくなった。

ドラマ撮影もあったけど、それでだけではない理由。問題と並行して撮影していたあのドラマは、いまだにちゃんと直視することができないし、もう二度と表舞台に帰ってこないかもしれない、なんど押し殺しても膨れ上がってくる不安な気持ちを抱えたあの時期は、二度と思い出したくない。春の報せにも名前が出ず(確かあの年は申し込みの時点では滝沢くんの名前しか発表されなかったような記憶)、博多座で幕が開いた初日には幕間より前に流れてきた某芸能記者のtweetの「6人」の文字に歓喜の涙を流した。

あの時の景時はすごかった。凄みを増した表情、セリフの間、すべてが研ぎ澄まされて覚悟を決めた男の演技。当時20歳だった岩本くんにあんな演技ができるなんて思ってもいなかった。

定期スケジュールと揶揄しつつもお仕事のありがたみは変わらず、このまま消費されてしまうのかなと不安になっていた2015年夏、転機が訪れた。当初の主演では動員が不足している故の、後からの投入という形ではあるものの、日生劇場での主演舞台。お仕事はくれない癖にファンがしっかりついているのを事務所のオトナたちに把握されているのは正直腹立たしい以外の何物でもないのだけれど、どんな形でも定期スケジュールを破れたことが、そしてそれがステージの1列目であることが、なによりも嬉しかった。初めての1列目、初めてのオリジナル曲。こんなに嬉しいことはなかった。

気づいたら岩本くんを筆頭にSnow Man6人のことが大好きになっていた。6人の夢がいつか叶ってほしいと、本気で思うようになっていた。そして私がそう思うようになってきたころに、明らかにSnow Manいいね、という人たちも増えてきた。目に見えて増えてくる「Snow Man担」、それに反していつまでも脱出することができないシアタークリエ。大好きだからこそ報われてほしい、彼らの夢がかなってほしいと本気で思う反面、第一線で推されているわけではないSnow Manだから、これ以上は望んではいけないのかな、とすら思うようになっていた。

渦中にいるとその騒ぎが客観視できなくなる。2018年1月、横浜アリーナで単独公演やりますと言われて、まず最初に「絶対空席が出る」と思った。1万5千人の客席を、Snow Manだけで埋めるなんてまず無理だ、と思った。せいぜいいいとこ3000人くらいだろう、と。そして後からそれは私の大いなる読み違えだとわかる。申し込んだ名義はすべて外れ、友達に入ってもらうどころか自分のチケットを確保するのに必死な状況。横浜アリーナって、本当に私の知っている、キャパ15000人の横浜アリーナのことなのかな?何度も友達と確認したのを覚えている。なんとか譲ってもらうあてが見つかったものの、当日会場に入るまでずっと、疑いの気持ちは晴れなかった。

 

 

当日の席はスタンド、かつメインステージをほぼ真横から見る席だった。ある意味死角はほぼない、1回しかない単独公演には申し分ない席だった。

10分前に席に着き、ふと見下ろすとセンターにもアリーナにもびっしりと人がいて、立ち見エリアにも人がいる。これ全部埋まってるんだ…。そこで初めて15000人がSnow Manを見るためにここに集まっているという事実を実感して、開演前だというのにひと泣きした。すでに持っていたタオルがぐじゃぐじゃだった。

暗転して、モニターに「Snow Man」という文字が映し出されて、会場に響き渡る歓声。拍手しか聞こえないクリエの会場を前に「声出して!」って必死で盛り上げていた6人の姿を思い出しては泣き、ZZLのイントロをバックにメインステージからせりあがってくる6人の姿を見ては泣き、上から見渡した6色のペンライトで埋め尽くされた会場を見ては泣いた。

花道を駆け抜けていく6人。

ここまで連れてきてもらったんだなぁとぼんやり思った。

胸がいっぱいになって、何度もこぼれる涙を拭きながら1度しか見れないその景色を目に焼き付けた。

ソロの「アンダルシアに憧れて」は、正直いつか見たいものの一つだった。いつかセンターで岩本くんが歌い踊る「アンダルシアに憧れて」が見れたら、私は成仏できるとずっと思っていた。でもそれは10年くらい先の話のつもりだった。ハットをかぶって(ハットだけは残念だった、せめてリボンと羽の色を何とかできなかったか…)現れた姿を見て、あぁ夢のひとつがかなってしまった、と思った。

岩本担をしていて、夢がかなう日が来るなんて思いもしなかった。

もどかしいことも何度もあった。これ以上を期待したらいけないのかなってあきらめそうになったこともあった。それでも岩本くんが、Snow Manが好きだから、目をそらすことができなかった。2013年の初単独クリエ公演で阿部くんが言った「ここ(クリエ)がゴールじゃねえぞ!」という言葉がふと思い出された。うん、ゴールじゃなかったよ。あの先にこんな素晴らしい景色が待っていたよ。5年前の阿部くんに教えてあげたいと思った。

そんなしめくくりの新曲、「Snow Dream」。

願いをかなえるよ、絶対あきらめないよ

だから「もう少しだけ」傍にいて…

一生ついてこいって言わない6人が、愛おしくないわけなかった。

 

ひとつの大きな通過点だったんだと思う。

この先が安泰である保証なんてなにもない。

いつかはいなくなってしまう不安と戦う日々はまだ続くだろう。

彼らの願いが叶う日が本当に来るとは限らない。

それでも私はもう少し彼らの傍にいたいと思っている。

 

20180325

初単独横浜アリーナ公演、ほんとうにおめでとう。